人生のどん底って、海の底というか谷底なんだなぁ
2月1日、来期の昇格について予定が発表される日。
まさか自分の名前がそこにないとは思わず、何度も発令を確認した。
間違いだとも思い、いつか差し替えられるだろうと、そのあと何日も朝一で開いてみた。
結局「間違いだった」と知らせる連絡も、発令が差し替えられることもなかった。
人生のどん底って海の底じゃなくて、暗い谷底なんだなぁと思った。
少なくとも息は続くし、何処かに道は繋がってそうだけど先が見えなくて、
生き延びるためにもがく気力が全く湧かない。
2月中旬まで、社会人停止していました
色んな人に迷惑をかけてしまったので、今となっては申し訳ない気持ちで一杯なのですが、2月1日から2月15日にかけては社会人としてのたいどんは全く稼働しておらず、落ち込んだり怒り出したり、泣きこそしないものの悔しくて奥歯を噛みしめて過ごしていました。
(これまでもそうだったけれど、今回ばかりは家族の存在に感謝した)
「何故自分が昇格を確信していたのか、そこがそもそも過度な期待だったのでは?」
「そもそも昇格できるほど品行方正な人間か?」
こう指摘されると反論のしようがありません。
妻にも「見通し甘すぎ」と言われる始末。
しかし、1月31日まで自分が昇格する未来は想像ではなく現実だったので、その落差はかなり大きいものでした。
実際のところ、まだ気持ちの整理が完全についたとはいえず、時折思い出しては苛立ったり、落ち込んだりを繰り返しています。
一体何故、こんなになるまで期待を高めてしまったのか。
期待していなければ、ここまで狼狽することはなかったのではないか。
期待の根拠①昨年度までの成果
今の職場には10年未満くらい務めています。
元々は別の仕事をしており、転職して今の会社に来ました。
前の職場でも経理関係の仕事をしていたものの、新しいことにチャレンジしたいと思っていたので、転職後何年か経って基幹システムの刷新プロジェクトへの参画を志願、希望が叶って専任担当者として従事することになりました。
まぁ、まさかほぼ一人担当で、ほかにいるメンバーは現業と兼任で、自分が参画前に進んでいた内容のフォローや社内のリソース不足を補うべく毎日早朝から夜中まで働き、移行用データの作成からユーザ教育まで、ありとあらゆることが自分に来るとは思いませんでした。
作業以外でも、部署間の力関係みたいなところから、丁寧に協力を求めた先から配慮も何もなく、一方的に電話口で怒鳴られるなどのパワハラめいた目にもあい、何度も匙を投げそうになったのもいい思い出(ではないか。いまだにアレが残れる会社なのかと辞めたくなる主因だし)。
それでも必死に食らいつき、昨年から新基幹システムが稼働開始。小さな想定外や、ユーザーの習熟度が高まるまで問い合わせ対応などもありましたが、某社で発生したような四半期決算の開示を遅らせるような大きなトラブルもなし。
ランナーズハイもあったのでしょうが、
「こんなに会社から応援も得られず、期待もされていなかったのに見事な着地を決められた!これは俺にしかできない!」
心からそう思っていたし、今もなお自分以外の誰にも出来なかったと信じています。
そして、外形的に見ても、
プロジェクトを仕切るリーダーシップや周囲を巻き込む力など、評価を受けるに値する成果を示せたものと信じて疑いませんでした。
期待の根拠②異動による競争相手の減少
新基幹システムが立ち上がり数か月後、上司から呼び出されて異動の内示を受けます。
正直なところプロジェクトの残務処理のようなこともまだ残っていたので惜しくはありましたが、同時に「昇格枠の確保」という発想に至りました。
人事のプロに直接聞いたわけではありませんが、昇格人事においては以下のような要素が絡み合って決まると感じています。
すなわち、
・個人の能力
・年齢(年功序列ってなんのかんのあるよね)
・所属している組織で持っている昇格枠
などです。
今回、異動元の組織では同じような年齢で、やってきた成果も同じくらいの人間が何人かいて、これまで見てきたところでは昇格枠を超えてしまっていました。
他方で、内示を受けた異動先は特に昇格候補になるような人がおらず枠が空の状態。
異動先での仕事にはあまり強い意欲はなかったものの、「昇格につながるならば」という思いで内示を快諾しました。
承諾のためにそんなに興味のない仕事を引き受けた、このあたりが今回の落差につながったのだろうと、今となっては思います。
結論:色々思うけど、とりあえず歩き出そう
今になってふりかえってみると、勝手に期待をして裏切られたと騒いでいる自分に気づくことができました。
また、妻からも、
「プロジェクトに関与しても人事考課を出すのはプロジェクトにタッチしていない現業の上司。働きぶりを見ていない以上評価はされない」
「そもそも今回昇格を推薦するのは異動先。異動直後で評価されるわけがない」
と指摘されており、過度な期待や認識の甘さにも思い至りました。
しかし、プロジェクト進行中ほとんど会社のサポートを得ることが出来ず、あまつさえパワハラめいた目にもたびたび遭うなどした経験から「会社は俺に報いるべきだ!」という思いは当時とても強くあり、今もなお残っています。
また、そもそも今回の異動は部門内の小組織間の異動なのです。
にもかかわらず、異動前の働きを全くなかったことにされるのかという点でいまだに納得できない部分は大きいのです。
そんなこんなで気付けば谷底に突き落とされ、ずっとうずくまっていたわけですが、これからもなお生きていかないといけないとようやく立ち直りました。
ただ、崖壁に手をかけてプロモーションだなんだと昇る気力はまだありません。まずは壁に沿って出口を探すことからはじめていきます。
そもそも私の自己評価が高すぎるだけで、昇格に値する人間ではないのなのかもしれません。
この記事では触れていませんが、私は組織人としては欠陥も多く、会社のパーツとしては問題が多いとの自覚もあります。
かといって、欠陥を直せるかというと、自分の人間性に深く紐づいており難しさも感じています。
(ついついこういう記事を書いてしまうあたりが”お察し”なのかも)
だとしても、多分クビになることもなく降格を申し渡されることもなく定年まで勤め上げることはできそうであり、今取り組んでいるRPA利用推進、ひいては働き方改革みたいなものは気楽な今の職位でこそやりやすいものなのかもしれません。
なので、やりたいことをやり、直せないものは直さず、気楽に生きていこうというのが今の自分の結論です。